工務店の歴史
工務店のルーツは江戸時代の大工棟梁
工務店の歴史を調べると
工務店の歴史と調べると、すぐに竹中工務店が出てきます。江戸時代初期に織田家に仕えていた竹中藤兵衛正高が宮大工として創業し、江戸安政地震の復興で江戸に来ています。近代建築を行う竹中工務店となったのは明治になってから。
竹中はゼネコンですが、ゼネコンも工務店も建設会社も「総合建設を請け負う業態」ということで元は同じです。規模やなりたちから建築の規模や種類が分かれていき、主に大工から派生したものが「工務店」として住宅や小規模建築の仕事を行うようになりました。
工務店という名は、「設計・施工を一貫して請け負うことが建築本来の姿である」という考えから竹中工務店がつくったものです。
大都市開発のために集まった大工
もともと江戸に大工がたくさんいたわけではなく、江戸城下町開発のために全国から集められた腕の良い大工棟梁が、公共工事が終わっても地域の住まいの修理などの仕事を行いながら江戸に住み着いたと言われています。
それほど江戸にはたくさんの仕事があったのでしょう。
江戸中期以降には公共工事も減り、江戸の各地にちらばり定着して仕事をはじめます。そして弟子や職人たちを抱え仕事を采配するようになりました。
これが現代の工務店の業態のはじまりです。
江戸時代の住まいはマイホーム?
ところで江戸の町屋はどんな住まいだったのでしょうか?
ほとんどが「長屋」で、借家が常識でした。マイホームではないので江戸時代には庶民の注文住宅は存在しません。
また、ほとんど木と紙でできた民家は火事が起こると全焼し、その都度壊して立て直す。大火が起こると町がリセットされるしくみだったため、手をかけて長持ちする家をつくる事は考えませんでした。
棟梁が行う仕事は、主に新築や町の復興などの公共工事を行いながら、合間に小さな修繕しごとの民間工事を行うといったところです。公共工事が無い時は暇だったといいます。
主が公共工事なので、営業といえば、近所の人たちと信頼関係を築くことくらいで、宣伝などする必要なく成り立っていました。
町で信頼される良い関係を築いていないと出来ないことですね。
現在の情報化社会では
現在では情報社会になったことで、仕事を依頼する側はたくさんの情報の中からよりよい会社を選ぶことができます。
工務店も選ばれる側として、良い素材や構法、人材など仕事の情報をどんどん仕入れ、広く宣伝していかなければなりません。
ですが工務店選びは情報だけで判断することはとても難しいと言われています。
それは、話や情報だけでなく信頼関係を築くことが基本という根底が、江戸の大工棟梁時代から全く変わっていないからだと思います。